スタッフ紹介 なみこ②『私とブラジル』

光JSみらいのなみこです。ブラジルに住んでいます。

前回日本語パートナーズとしてインドネシアで活動したお話をしましたが、今回はその後ブラジルで暮らし、光JSでお仕事をすることになったきっかけをお話しします。

スイス留学やインドネシアでの活動で、海外で日本語や日本文化を広めることをライフワークにしたいと考えていたわたしは、次なる活動の地も海外と決めていました。いろいろと情報を集めていた中で見つけたのが、JICAの「日系社会ボランティア(現在は海外協力隊に統一)」という選択肢でした。JICAの日本語教師は専門的に大学などで教える立場が多い中で、中南米の日系社会で活動する日系社会ボランティアは言語教育に留まらず、現地の言語・文化・コミュニティの継承に携われるのがわたしにとって魅力的でした。いつか南米の地を踏んでみたいというなんとなくの憧れもありました。正直そのときまでは、ブラジルとも縁はなかったし、恥ずかしながら「日系人」「日系社会」なるものの存在もほとんど知りませんでした。

梅本代表との出会いは同じ時期に派遣されるボランティアが受ける横浜での研修期間でした。3ヶ月の間みっちりポルトガル語と日系社会で活動するにあたっての心構えを学び、活動への準備をします。学生の時にもないほど濃い時間を共に過ごす同期とはここで「同志」になりました。

派遣後現地で日本文化として紹介するために研修中夜な夜な励んだよさこいの練習

そうして2016年7月にわたしが派遣されたのは、ブラジル南部サンタカタリーナ州の小さな日本人移住地でした。この地域はイタリア系、ドイツ系移民が多く日系人は圧倒的マイノリティです。そんな中でも移民1世の築いてこられた土地とコミュニティーを基盤に強い結びつきと想いで人と文化を育んでいる場所でした。

メインの活動は移住者たちが立ち上げた協会の日本語学校で日本語を教えることでしたが、その他にも和太鼓や踊りの文化活動に参加したり、行事を手伝ったり、日本文化普及の為に地元の学校でワークショップをするなどもしました。

地域の学校で日本の踊りを発表

活動が休みのときは、梅本代表ら同期と旅行も楽しみました。日本の国土の23倍もあるブラジルはどこへ行くのもとにかく遠い!梅本代表の任地とわたしの任地は日本とフィリピンほどの距離があるのですが、お互いの任地を訪れて全然違うブラジルの姿を見られたのもいい思い出です。

あっという間にすぎていった2年間でしたがその間にご縁があり、わたしはJICAでの2年間を終え帰任した後にまたこの地に戻ってくることになります。なんの縁もゆかりもなかったブラジル、しかもリオでもサンパウロでもない南部の片田舎にその後の人生腰を据えて暮らすことになるとは、自分でも驚きです。人生なにがあるかわかりませんね。

ブラジルに戻ってきてからは、日本語講師の傍らブラジルの商品を取り扱う日本の商社で現地スタッフとして働いていました。そんなある日、梅本代表がオンライン日本語スクールを立ち上げるというニュースが飛び込んできました。その時なぜかとてもドキドキしたのを覚えています。

横浜で3ヶ月寝食を共にし、遠いながらも2年間一緒にブラジルで活動した同期が日本とブラジルの子どもたちのために新しい挑戦をしようとしている!わたしも何か協力したい!と思い、すぐに話をするために直接連絡しました。

実は、協力隊のミッションの1つに「帰国後の日本社会への還元」というものがあります。協力隊として帰任後、すぐにブラジルに戻ってきたわたしにはずっと日本社会に何も還元できていないという気がかりがありました。日本に住む外国ルーツをもつ子どもたちへの日本語学習支援なら、ここブラジルからもわたしに何かできることがあるかもしれないと思い、光JSに関わらせてほしいと代表にお願いしました。そして今、みらいっこ制度のスタッフとして事業に関わらせていただいています。

次回は、ブラジルでの暮らしやここで生活することで見えてきた2つの国の文化や教育の違いについてお話したいと思います。

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