スタッフなみこ③『海外に住んでみて見える日本の暮らし』
光JSみらいのなみこです。前回なぜわたしがブラジルに住んでいるかをお話しましたが、今回はここでの暮らしや生活することで見えてきた2つの国の文化や教育の違いについてお話したいと思います。
わたしが暮らしているのは、ブラジルでもアルゼンチンやウルグアイに近い南の方です。ブラジルといえば、熱帯のイメージがあるかもしれませんが、この地域は雪が降るほど冬には寒くなります。
よく、ブラジルって治安が悪いんだよね?危なくないの?と聞かれますが、ここは国内でも屈指の治安が良いとされる州で、さらに人口の少ない小さいまちに住んでいるのでこの6年間一度も危ない目にあったことはありません。まちに出ればたいてい知り合いに会い、少し車を走らせれば広大な牧草地が広がる所での平和で牧歌的な暮らしです。
それでも、日本との一番の違いを感じるのは大きな社会格差です。家庭の所得状況に端を発する経済格差はそのまま教育格差・文化格差・健康格差につながり、世代を経て継承、拡大されていきます。
制度としての公教育は日本と同じようにありますが、子どもの数に対して質も量も足りていないのが現状です。教育現場の設備やマンパワーに限りがあるため、子どもたちが学校で過ごす時間は半日だけです。教育にお金をかけられる家庭の子どもは残りの半日を習い事に使ったり、全日制の私立に通ったりします。必然的に受けられる教育の量が変わってきます。
日本の学校のように、主要教科の他に音楽や家庭科が授業として行われることもありません。通常は給食もないため、学校で栄養バランスのとれた食事ができたり、食育が行われたりすることもありません。教科学習以外はほぼ家庭の価値観や力量に任されています。
もともといろいろな国からたどり着いた人が作ったのがこのブラジル。人種も文化も価値観も実に多様です。子どもにどんな教育を与えるか、個人がどんな人生を歩むかも多様、といってしまえばそれまでですが、やはり全ての人に平等に与えられる「最低限のチャンス」の最低ラインが日本のそれと比べるととても低いように感じてしまいます。
一方で、子どもに教育を与えられる「器」は学校だけではないと感じるのがこのブラジル社会でもあります。ブラジルでは、家族のつながりがとても強いです。ポルトガル語で家族を意味するFamíliaの単語は、一緒に住む家族だけでなく親族一同までその範囲が及びます。
両親だけでなく、祖父母・伯父伯母・いとこからもはや関係がよく分からない人まで「家族」として日常的につながりを持って生活しています。その中で、世代を越えて人間としての営みや生活の技術、道徳、人間関係を学び、生きる力を育んでいくのだと思います。そしてそこは大きな大きな愛情にも溢れています。
わたし自身も今ではブラジル人の家族の一員となりましたが、一緒にコーヒーを飲んだりシュハスコを食べたりして一緒に過ごす日常の中で交わす何気ない会話の中で学ぶことがたくさんあります。そこはありのままの自分を受け入れてくれる小さな社会で、生きるってこういうことだなとさえ感じます。
月並みな表現ですが「人は支え合って生きている」ということを外国人として暮らす中ではより強く感じます。そして、その支え合いはどんな形でもいいんだと思います。わたしがこのブラジルでしてもらっているように、いろいろな事情があって日本に住む外国家庭や子どもたちにも支え合いの輪の中にいてほしいというのが、わたしがみらいっこの事業に携わる理由でもあります。
少しでも多くの子どもたちに学びの機会が与えられ、その子どもたちが成長して未来を切り開き、また誰かを支えられる立場になる、そんな循環をみらいっこの活動を通してつくっていければと思っています。