これまでのすべてを糧にして、教育の道へ スタッフ・ルシアナ④
16歳から日本語教師として仕事を始めました。建築学科に行くつもりだったので、時間を持て余す中でバイト感覚で始めたのがきっかけでした。
最初は子どもクラスから始めて、とても楽しかったです。成人クラスも持つようになり、ずいぶん年上の生徒から「マダム田中」のように敬称を付けられるのは最初は慣れませんでした。私の性格上、生徒と近い距離感で、友達のようなフランクな雰囲気で授業をしていました。私は基本的に他人に興味はありませんが、自分の生徒は大好きです。自分の生徒であることで、もうとても愛おしいです。同僚のことも大好きです。
勤務先の日本語学校の環境も良く、日本語教師の養成コースや研修コースは毎年参加するのが当たり前でした。研修は義務というより、実りのある楽しい研修でした。毎年参加することで、他の日本語学校の教師仲間もできました。
大学は私立の建築学部に入学しましたが、国立の教育学部に合格したため、転校し、将来教師として生きる道に目を向け始めました。
日本語学校の校長先生のすすめで、高校時代にブラジル国内の日系の日本語教師研修に参加、大学進学後に三ヶ月、横浜の研修に参加しました。大学3年時には一年間京都の教育大学に留学し、ずっと教育に関わっていくという気持ちが強くなってきました。
今後日本の大学院に進学予定で、専門は第二言語習得です。子どもはずっと好きで、子どもへの思いは熱いものがあります。ブラジルの日本語学校で働いていたとき、子どもと関わって、子どもはこちらがちゃんと関わって注意を向けると、すごい愛情を返してくれると感じました。
ブラジルの大学で教育学を学んだときには保育の授業も多く、「子どもが希望である」という考えには、もう共感しかありません。将来も子どもと関わることをしていたい。自分の家族も作りたいですね。
一般社団法人 光JSみらいの仕事では、子どもに合わせて自由度の高い授業ができるので、とても合っていると感じます。外国ルーツの子どもと境遇が重なるところがある分、実情を理解できるし、共感もあります。あの頃の私たち家族が欲しかったサポートをいま形にできる喜びも感じます。
光JSみらいを通して、外国ルーツの子どもや家族と関わりながら、自分の子ども時代のことを思い起こします。幼い子どもだったのに通訳をやらざるを得ないことはストレスでしたが、成長する中でその経験があって良かったと思えるようになりました。今頑張ることは必ず実るし、必ず人生の糧になる。頑張れるなら、いつ何時でも頑張った方が自分の力になる、と思います。
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