「ユミコ」から「由美子」へ スタッフ・ルシアナ②

鈴鹿の小学校時代は、同級生にペルー、ブラジル、ボリビア出身の子がいて、外国ルーツの子が多い小学校でした。

日本語支援クラスがあって、基本的な日本語学習をそこでしていたようです。私は日本語支援クラスには入りませんでしたが、弟が低学年の間、そこで学習していました。

家庭で通訳をするように、外国から来たクラスメイトに持ち物やプリントの説明をしたり、手伝いをしていました。

その小学校にも、外国ルーツの子どもがいることは当たり前という雰囲気があったと思います。私の名前は4年生まで「タナカユミコ」(仮)と全部カタカナで書かれていました。それがいやだったので、5年生からは先生に伝えて「田中ユミコ」と名字を漢字にしてもらいました。5年生の時の担任の先生と友達と放課後おしゃべりしていたとき、ユミコにも色んな漢字があると教えてもらい、先生がいろいろな漢字をあててくれた中から「由美子」を選んで、中学校入学からは名簿は「田中由美子」にしました。

※校内での学籍の実際の扱い等、詳細は分かりかねます。

中学校は学区が違ったので、外国ルーツの子どもは中国人の子がいたくらいで、ほとんど外国ルーツの子どもがいない中学校でした。

ソフトボールの部活に入って、早朝練習、土日も部活とハードでしたが、楽しく過ごしていました。私と同じく違う学区から越してきた子と一番仲良くなりました。

カタカナだった小学校と違い名前の違いはなくなりましたが、今まで気にしていなかった身体的特徴の違いが気になり始めたのがこの頃でした。友達が褒めるつもりで、私の目の明るさ、鼻の高さに言及すると、褒められているとわかっていても、「あっ、ちがうんだ」という思いを強くしました。当時は顔の見える範囲が少なくなるように、前髪を伸ばしていました。

~③に続く

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