【初めての子育て@ホーチミン市を経て、保育士になるまで スタッフ・力】

スタッフのちからです。

ベトナム、日本、ネパールを経て、現在マレーシアで三人の子どもの子育てをしています。

小中高と群馬で過ごし、大学から東京で暮らし始めました。

海洋生物学を学びたいと思い、大学三年時にUCSB(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)に10ヶ月留学しました。

理系を専攻していましたが、留学中に受講した教育学の話に興味を持ち、留学後、社会学に転向しました。

そのときの教育学の授業は、教育によって階層社会が再生産されるという内容でした。教育のもつ可能性と社会構造を変えてしまう恐ろしさを同時に感じました。

大学最後の年は、地元の館林で学童のアルバイトに力を入れました。

子どもへの接し方を学んだわけでもなく、今思えば体当たりで子どもと対応していました。そのときに、もっといい叱り方や接し方ができたのではという、後悔に似た反省が、後々保育士を目指すことにつながりました。

SEとして就職し、忙しい日々を送っていた中、結婚。

妻のベトナム転勤と妊娠がわかりました。仕事を辞め、ホーチミンで初めての子育てすることになりました。

ベトナムは、日本と比べ、子育て支援センターや公園はあまり充実していませんでしたが、オープンマインドな子育て中の親仲間にたくさん出会うことができました。ママ友の集まりも開放的でした。

二年のベトナム生活中に、保育士の勉強を独学で始めました。

保育士資格の勉強を通して学んだ五感教育/直感教育という、実際に触ったり感じたり経験して学ぶ大切さは心に残り、今も自分の子育ての一指針としています。

日本に帰国後、保育士として働き始めました。

スタッフちから 人とのつながりが生み出すケミストリーが好きだ!

保育士として子どもと関わる中で、子どもの面白さ、かわいさを感じ、学ぶことがたくさんありました。

多くの子どもに出会うことで、我が子だけを見ていたら「短所」や「こだわり」と思っていたかもしれないところが、その子の「長所」「魅力」だと気づくことができました。

他の保育士から学ぶことで、我が子への声かけも、「だめ!」と言うのでなく、「こういう風にしてみたらどう?」に変わり、仕事と我が子の子育ての相乗効果がありました。

同時に、日中の保育に自分のエネルギーを注ぎきり、我が子に力を注げない葛藤もありました。

いろいろな経緯を経て、家具職人として職業訓練を受け、その中で元家具職人で現在楽器工場の監督になった先生に出会いました。

私は6歳から18歳までチェロを習っていました。20歳からはバロック音楽にはまり、カフェで演奏会を開いたり、チェンバロ、ギター、リュートの仲間と合奏したりしていました。

職業訓練後、近所の楽器工房で見習いをして、だんだん楽器修理の仕事が形になってきました。

同時に、音楽教室で先生として、子どもが歌うときチェロで演奏したり、リコーダーを教えたり、曲を作ったり、ミュージカルのような劇を作ったりしていました。

その頃、チェロの演奏でお金もいただけるようになってきました。

私は、チェロで他の楽器とセッションして音楽を作り出すことに、大きな喜びを感じます。誰かと演奏することはモチベーションにもなり、結果的に演奏技術も向上します。

そんな中、妻のネパール転勤が決まりました。積み上げてきた小さなつながりが重なって、さらに面白くなりそうという中での転勤は、正直後ろ髪引かれる思いがありましたが、再び海外へ家族5人で行きました。

スタッフちから ネパールへの転勤と、コロナを経て今度はマレーシアへ

ネパールでは音楽の縁で、演奏や楽器修理の機会が生まれ、音楽仲間もできました。

日本から来たバイオリニストの方の公開レッスンを企画運営したときは、自分の持っているスキルを活かして、人と人をつなげることが好きなのだと実感しました。

ネパール生活のさなかにコロナ禍にみまわれ、チャーター便で帰国することになりました。

その後マレーシアに転勤し、現在、我が子3人はクアラルンプールでインターナショナルスクールに通っています。

末っ子は上の二人とは違う学校に行っています。末っ子は、その子の個性と照らし合わせて楽しく通える学校を探した結果、転校して今の学校になりました。

今の積み重ねが将来につながると思うので、今の状況を居心地良くすること、well-beingを大切にしています。

スタッフちから 海外生活の苦労と喜び 

海外転勤を繰り返す中で一番の苦労は、人とのつながりを一から作り直さないといけないところです。特にコロナに見舞われてからは、人と会って話して仲良くなる、というとっかかりが難しくなってしまいました。

できるだけ学校の親向けの説明会に顔を出して立ち話しして、情報交換できるような親自身のつながりを作りたいと思っています。

転校先では初年度はイヤーブックを買って子どもと見て、顔と名前が一致してる人が増えるようにすると、子どもも安心ゾーンが広がる感覚があります。

また、子どもの友達の名前は覚えて、子どもの友達とコミュニケーションをとれるようにしたり、積極的にプレイデートをセッティングしたりしています。

初めて住んだ場所でも、次第に挨拶しあえる人が増えてくると、その場所に馴染んできたなと思います。

海外で暮らすことの一番の魅力は、色んな国の人と友達になれることだと思います。サッカーのワールドカップを見ても、「ベルギーは○○の国だね」と言ったり、親同士で交流して、違うバックグランドの人と知り合うのはとても楽しいです。

現在光JSみらいで働きながら、立ち上げの躍動感に面白さを感じています。オンラインで働いているので、日本に住む外国ルーツの子どもと直接交流することはありませんが、海外にいる自分たちに近い気持ちかなと想像しながら共感しています。

光JSみらいのオンラインセミナーの岩城エリーザ先生の講演に感銘を受け、クアラルンプール在住の日本人向けの講演をお願いして、準備しているところです。

エリーザ先生の講演で、移住先での社会的役割がないと新しい時間の受け入れに時間がかかるという話を聞き、クアラルンプールに新たに移住してきた人の心理的な助けになれたらと思っています。

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